《知っトク》テレビゲームに潜む危険性
私たち大人が子どもだった頃のテレビゲームは、今から見ればすごく単純なものでした。
代表的なシューティングゲームしても、画像が稚拙で、遊びの域を抜けませんでしたよね。
でも、今はどうでしょうか?
コンピュター技術の進歩とともに、画像が現実のものと酷似し、まさに擬似体験です。
その種類も、スポーツ系に始まり戦闘・殺人系まで、果ては恋愛なんてのもあるくらいです。
それらが、手早く手頃に、現実がごとく擬似体験できるのです。
ちょっと息抜きに、ゲームだと心得て遊ぶ分にはいいかもしれません。
ゲームはあくまで擬似体験であって、現実離れしていることを知っている者にとっては。
でも、ゲームをする子どもを見ると、心底のめり込み、熱くなり興奮していませんか。
よくよく考えると、これってすごく怖いことのようにも思えてなりません。
子供達は、ゲームの画面の中に、もうひとりの自分を存在させるのです。
汗もかかずに勝ち取れるスポーツ選手の栄光。
痛さや悲しみを感じることなく人を傷つける爽快感。
そばにいるだけで心が踊り、胸が張り裂けそうな感覚がないままの恋愛感。
まことしやかに作り上げられて、真実とも思わせてしまう虚実の世界。
その擬似体験には、実体験で得られるはずの人間形成の根幹となる感覚や経験など全くありません。
しかしこの真実の存在しない擬似体験の世界を、子どもは現実と見てしまうのです。
果たして、人生のイロハも経験していない子ども達にとっては、いいことでしょうか。
もちろんゲームですから、社会的になんの罪も悪もありません。
でも、でもです。それだけに・・・。
あなたの子どもは、本質の抜けたゲームの擬似体験を、現実の体験も変わりないものだと思い込んでいませんか。
あたなの子どもは、実際の体験を本質の抜けたゲームで済ませてしまって、満足して
いるようには、見えませんか。
可愛い子どもが、自分の人生をゲームの中で完了させてしまっていませんか。
高校受験で、初めて自分の人生を決める岐路に立つ子供達。
それをまるで他人事のように思っている子がいます。
私は、その子たちには、こう言って聞かせます。