【保護者様】塾長が教える《成績が上がる》勉強法とオススメ本

日々勉強に頑張る皆さん、そして子供の教育に悩むお母さんに向けて、役立つ勉強法や教育、また関連オススメ本を紹介!

《知っトク》志望校策定の基準

中学生のみなさんへ。

志望高校の策定を、自分の今の学力で決めていませんか。

それは大きな間違いです。頑張ろうにも力も半減です。

自分で限界を作っていけません。

それでは、目標を決めていないのと同然です。

自分にとって最高に行きたい高校を目指しましょう。

今の学力や入学の難易度なんて関係ありません。

「本当に行きたいかどうか」だけが肝心なのです。

これが、志望高校を決めるための基準であり、一番重要なポイン。

そして決めた志望校は、日々念じ自分に言い聞かせ、その意志をぶらしてはいけません。

何よりも志望高校合格の強い意志を持ちましょう。

自分をその気にさせてあげてください。

保護者の方は、お子さんをいつもその気にさせ、叱咤激励し応援してあげてください。

行きたい高校が決まれば、あとはそこに入学する為にすべきことをこなせばよいだけです。

もし君が、「中学3年の夏まではクラブ活動に打ち込み、それから受験勉強をすれば十分間に合う」なんて考えているならば、甘すぎますよ。

「だって、クラブのセンパイはそうして志望高校に合格して、今もクラブを続けているから」と・・・。

クラブ活動引退後、猛然と受験勉強を開始して、志望高校に合格したその先輩は、実はそれまでの1・2年生のときから、志望校を決め、ちゃんと勉強してきているのです。

そういうセンパイほど、クラブで時間を取られながらも、一生懸命勉強もしてきているのです。

文武両道で勉強するからこそ、あまり勉強できていない気がし、さらに自然と励んでいるのです。

その人たちは1・2年生のうちに基礎力をしっかりと身につけ、勉強するクセができあがっています。

だから、引退後に猛ダッシュで勉強ができるのです。

クラブ活動もせず、志望高校も決めず、のほほんと1・2年生を過ごしていては、あっという間に3年生。

それでは、なかなか思うように受験勉強もはかどりませんよ。

だから、もう一度言います。

行きたい高校を今から決めておきましょう。

中学1年生であっても、決して早くはありません。

志望高校が決まっていれば、定期テスト勉強も頑張れるはずです。

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《知っトク》なぜ勉強するのか、迷ったときに。

勉強ができる = すばらしい人間 ではありません。

純真無垢な小学生時代を思い出してください。

クラスの人気者は、勉強ができる人でしたか。

違ったはずです。

勉強だけできても、人気者にはなれません。

それだけでは、人としての魅力を感じないからです。

人気者とは・・・「明るくて元気で思いやりがあり、がまん強い人」です。

少しくらい勉強が苦手でも関係なかったはずです。

でも、ある程度、人生の山あり谷ありを経験したお父さん・お母さんは、決まって言います。

「勉強しなさい!」

すばらしい人となり、人生を送るためには、やっぱり勉強も必要だとわかったからです。

勉強は、あなたの人生をより豊かにしてくれます。

お金持ちになれると言っているのではありませんよ。

勉強をしていくら偏差値の高い大学を卒業しても、今の時代は大学のブランドだけでは、お金持ちにはなれません。

それよりも、勉強は、あなたの心を豊かにし、勉強して頭を鍛えたものにしか味わえないすばらしい世界を提供してくれるのです。

言葉では表現できない心の豊かさです。

勉強したものだけが、感受できるのです。

だから、人は、年ととっても、勉強し続けるのです。

一生勉強です。

人類の偉大なる思想家「孔子」論語の一節です。

「十有五にして学に志す。三十にして立つ。

 四十にして惑わず。五十にして天命を知る。

 六十にして耳順う。七十にして、心の欲する所に従えども、

 矩(のり)を踰(こ)えず。」

その意味は、

「十五歳で学問を志し、三十歳で独立し、四十歳で迷わなくなり、五十歳で天命、使命を知り、六十歳で、どんなことを聞いても驚かなくなり、七十歳で、自分の思うままに行動しても軌道を外れることがなくなった。」

これは、聖人「孔子」が年を重ねることで、至った境地です。

義務教育課程の小・中学校の勉強は、まさにすばらしい人生を送るための土台作りにあります。

話は少し外れるましたが、素晴らしい人生を送る人とは、

「明るくて元気で思いやりがあり、がまん強い人」のことです。

この「がまん強い」というところに、「勉強」が含まれています。

注意すべきは、この「がまん」することを、「嫌なことを耐え忍ぶ」ことだと思わないこと。

「がまん」するとは、よりよい人生を送るために、「力を蓄える」ことだと解釈してください。

生まれついての「すばらしい人」なんて、どこにもいません。

さあ、みなさんも共に、勉強をして、すばらしいお互いの未来のために、力を蓄えましょう。

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《知っトク》成功者になるために

●成功の反対を、失敗と捉えればいけない。失敗は過程であって、部分的な成功。だから何もしないと成功はありえない。考えることよりも行動に起こすことが余程大事。

●失敗してもいいではないですか。死ぬわけではないのですし。命さえあればいくらでもやり直せるから。

●誰に対しても熱い挨拶を続けれていれば、どんどんの人間として成長し、人は評価してくれる。嫌な相手まで、あなたのことを好きになり、味方になってくれる。

●成功するのに、頭の良さだけではかえって邪魔。バカになって徹底してできないから。

●成功者は例外なく熱く生きている。熱く生きるということは、何事に対しても真剣で全力。手を抜かないからどんどん学べるし、成長できるし、すごく力がつく。だから、成功しないわけがない。

●本当に苦労して成功した人は、例外なくハングリー精神を持ち、謙虚です。どんなに成功することが難しいか知っているのです。そして、その成功の裏には、多くの人々からの助言や応援があったことをより理解し、感謝の気持ちが絶えないのです。

●成功したかったから、あれこれ考えずに、まずバカになって動くことが大切。空回りしていそうで、実は動きながら考えた方が、より現場に則した具体的で現実的なアイデアや方法が出てくるから。

●もし成功したければ、夢や目標にしていることにできるだけ多くの時間を使うこと。

●どんな立場になっても、またどんなに実力をつけても、必ず誰かから批判はされます。そのとき、「いつか必ず。この人からも評価・感謝されるくたい実力をつけ成果を出すぞ!」と前向きにとらえ、その悔しさをダメな自己を変革するエネルギーに変えていけばいい。これぞ人間を最高に成長させる反骨精神なのです。

●成功者とそうでない人との決定的な違いの一つは、何もないときに、また大変な状況のときに、まず成功すると本心で決められるかどうか。

●人間は誰しも奇跡を起こす力が潜在的に備わっています。それを信じて実行するかどうかなのです。真剣に念ずれば、念じていることを実現させるために、自然にすべてを賭けて頑張ろうとします。ですから、ほとんどのことは、時間の問題で叶ってしまうものです。それだけ、念じる力はすごい。

●ほとんどの人が成功できない最大の理由のひとつは、できることをすべてやらないから。できることを、どんどんやらないと成功できない。待っていても何も起こらないから。また、すべてやってみないと、どれが成功のもとになるかわからない。

●夢はそこから逆算して細かい目標を設定し、日々実行さえしていけば必ず叶う。

●笑顔にはすごいパワーがあります。笑顔でいると前向きになれます。笑いはその場の雰囲気を和ませ、周りの人々に楽しさと安心感を与えます。結果、人を魅惑し、運気も上昇してくるのです。

●成功するための秘訣は、成功するまで止めないこと。とにかく、自分なりに好きなことをやり抜けば、成果は出ます。頑張り続ければ、結果はあとからついて来る。

●目の前のやるべきことをどんどんこなすうちに、段々本当にやるべきライフワークに引きこまれていきます。気がついたら、それは自分にしかできないことなのです。そして、それを徹底してやり続けることで、自然と成功を手にしているのです。

●定期的に学ぶことで心に栄養を送らなければ、精神的に衰えていきます。成功者は皆、学び続けています。でないと成功できないし、成功を維持できないことを体験的に知っているからです。人間にとって学ぶことは必要不可欠なのです。 

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《知っトク》効果を上げる勉強法

学力=勉強時間だとは、一概言えません。

確かに量をこなすことは重要です。

でも、ただダラダラと時間をかける勉強では、せっかくの勉強も身につきません。

効果ある勉強するために、そのプロセス・メカニズムを知っておくとよいでしょう。

勉強は、かけた時間に比例するのでなく、脳が勉強に集中した時間に比例します。

また、効果を上げる勉強法は、3つのメカニズムに分かれます。

①まずは、何より基本事項をしっかりと確実に理解することです。

スポーツやゲームに例えれば、ルールを覚えることに相当します。

ルールをしっかり理解し覚えなければ、何をしても楽しくはありません。

だってルールを知らないスポーツを見ても、おもしろくないでしょう。

勉強も全く同じことが言えます。

②次に、理解し学んだことを、忘れないように覚えておくことです〔暗記〕。

学校や塾で、せっかく勉強しわかっても、覚えておく努力をしなければ全く無意味です。

だから、宿題をきっちりとこなすことは、とても大切なことです。

宿題をする家庭学習こそが、学力を伸ばす大きなカギとなります。

ちなみに、英単語や社会などの暗記は睡眠前にして、たっぷり睡眠をとることをオススメします。

というのも、記憶をつかさどる脳組織の海馬は、寝ている間に最も活発に働くからです。

定期テスト前、夜ふかししての一夜漬けも、せっかく暗記したことが記憶に残らないわけですから、

高校入試という最終目標を考えるならば、その苦労も全く無意味ということになります。

③効果を上げる勉強法の最後は、覚えたことを実践演習問題を通して、引き出す練習をすることです。

この③の段階の作業こそが、勉強の醍醐味であり、本当に意義ある学習となります。

それまでの①②は、下準備にすぎません。

問題に対して、その意味・意図をつかみ判断し、正しい解答を導き出すプロセスが③にあたります。

覚えた基本事項を組合せ、自分の考えを組み立てていく中に、勉強の醍醐味と面白みがあります。

この最終段階に到達できてこそ、勉強の快感を知ることができるのです。

テストで良い結果が残せない人は、①②の段階で終わり、もうひと息の努力が足りないのです。

だから、当たり前のことですが、私の塾では宿題のフォローをすごく重要視しています。

皆さんは、この宿題をするという当たり前のことをおろそかにしていませんか。

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《知っトク》学校・塾・家庭、三位一体の学習

あなたは塾に通っているせいか、学校の授業を「そんなところはもう習ったよ」と軽んじていませんか。

基本を甘く見てはいけません。

あらゆる問題は、全て基本に通じています。

こと中学入試・高校入試にしても、例外ではありません。

塾に行きながらも、学校の授業を復習と捉え、大切にしている子供は、入試本番に力を発揮します。

それが実際、学校の授業の良さなのです。

つぎに、塾の良さは何か。

もちろん、勉強を教えてもらうことにあるですが、ポイントとなるのは、子供ひとり一人の能力を最高に引き出す指導をしてもらえるか、「学習の仕方」・「学びのコツ」まで伝授してもらえるかにあるのではないでしょうか。

最後は、勉強する上で一番の大切な部分は、家庭での学習にあると自覚してください。

意外に思えている人は、要注意です。

宿題をないがしろにしていませんか。

宿題をないがしろにさせていませんか。

成績が振るわない人は、少なからず思い当たる節があるでしょう。

勉強の飲み込みが悪くても、家庭の学習〔宿題〕を重要視し大切にする子供が、志望校合格を確実に手に入れます。

彼らは志望校合格をなんら疑うことなく信じて、家庭学習に打ち込めています。

そんな子供を育てることが、塾の使命でもあります。

子供が学び成長するのは、『家庭』が一番の場所だと考えてください。

なかなか難しいことですが、子供が家でじっくり勉強に取り組む姿勢を身につけることが、すごく大切です。

学校はあくまで、そのきっかりです。

塾の役割は、子供が自分だけでする家庭学習をいかにサポートできるかにあります。

家庭での学習は、勉強を教わるのではなく、子供自らが創造することに価値があるのです。

わからない問題を聞ける人が、近くにいることではありません。

家庭学習は、自問自答の場なのです。

その意味では、塾の役目は、子供が自問自答できる頭を事前準備しておいてあげることでもありますね。

家庭学習が重要なわけですから、子供本人・家庭(親)・塾の三位一体の結束も忘れてはなりません。

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《知っトク》理解度の違い

私も指導者の端くれとして、問題の解説には自信があります。

子供に「この問題、わかった?」と聞くと、決まって「うん、よく分かったよ」と答えてくれます。

でも、その何人かは、自分で解くとなると、なかなかうまく解けないということがあります。

ここには、指導する側の求める理解度と、それを受ける側との理解度にギャップあるのです。

子供が示す理解度には、いくつかのレベルがあります。

◎レベル1:問題の解説を聞き、うなづいてはいるが、実は適当で、分かったフリ。

これは問題外、要注意。

勉強しろと言われるからしているだけで、問題意識ゼロ。

学校の授業や一斉授業の塾で、見られるパターンです。

何のための勉強・塾なのか・・。

まず、そこから子供に理解させなければなりません。

◎レベル2:問題解説を聞けば、わかる。でも、自分だけでは正しい答えを導き出せない。

指導熱心な家庭教師や個別指導に見受けられるパターンです。

指導している側もすごくやった気になれるのですが、でもなぜか子供は自分ではできない。

指導する側が、ちゃんと子供自身に考えさせていないのが原因です。

子供も解説を聞けば分かるので、わかった気になってしまうのが、落とし穴です。

◎レベル3:自分で解ける。

このレベルに達して、初めて理解したと言えるでしょう。

自分で問題を解けない子供は、できる・分かるとはレベル3のことだと、しっかり理解していないのです。

ましてや、どれだけの指導者が、このあたりを意識して指導にあたっているかも疑問なところです。

そこで私の塾では、「分かった」というのは、レベル3であるということを常に子供に理解させるように心掛けています。

レベル1はもちろんのこと、レベル2でもダメなんだと、しっかり子供に理解させないといけません。

では、子供が理解しているかどうかをはかる個別指導の方法とは、何か。

ひと手間ですが、効果絶大です。

その子供が解けなった問題を私が解説指導した後に、必ず子供に説明させるようにしています。

しっかり理解していないと、他人に説明なんてできません。

子供にそれをさせるのです。

これが、その子がレベル3に達しているかどうか確かめる私の手法です。

私に「わかった?。じゃあ、説明してごらん」と言われ、自分で説明できないと、

「それは分かったとは言わない。もう一度」と言われるわけですから、子供も気が抜けません。

子供の方も、うかつに「わかった」なんて言えなくあるわけです。

実際には、子供一人一人の能力や性格を見ながらになるのですが。

これを繰り返すことで、子供が自分で考えるクセがつき、その能力が必ず育ちます。

自分で解ける段階まで、自分で自分のハードルをあげてくるようになるわけですから、おのずと自分だけで正解にたどり着けるようになってくるのです。

ちなみに、レベル4、てのもあります。

これは、自分で問題を作るレベルに達することです。

迷路クイズの好きな子供が、自分で迷路を手書きで作り出すのが、これに当たります。

自分で作る醍醐味を知ると、作成者側の大変さや面白さを知り、他者性や「作成者のねらい」がわかってくるようになります。

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《知っトク》子供は親の背を見て育つ

子供はとてもよく親を見ています。

「子供は親の背を見て育つ」と言いますが、子供への対応で大切なことは、彼らは言葉じゃなくて親の行動を見ているということです。

これは、子供をとらえるときにいつも身に引き締めていなくていけないことでもあるのですが、親が行動で示すことについて、彼らは強烈にインプットして、その通り育ちます。

ですから、親が自分の経験・反省を踏まえ、「勉強しなさい」とか、いくら大切なことを言っても、子供たちは、親の日頃の行動を見抜いていますから、なかなかわかってもらえず通用しません。

自分が子供だったころを思い出してください。

身に覚えがありませんか。

では、どうすればよいのか。

親の悩み:「ウチの息子は、本を全く読まない」。

「本を読みなさい」と言われて、読むようになる子は一人もいません。

親が、やっぱり本を読んでいるところを見せるのが一番です。

親の悩み:「ウチの娘は、集中力にかけている」。

親が何かに熱中したり、夢中になっていますか。

熱中する対象は、本でなくて、音楽・映画・スポーツでも、親自身が愛情を向け夢中に

なれるモノなら何でもいいと思います。

そんな親自身が何か熱中している姿を見せることが一番大切です。

つまり、子供は楽しくないことは絶対やりませんから、その楽しさを伝える手段として、親が没頭している姿を見せる、ということが意味を持つというわけです。

勉強教育という点だけでなく、感受性・情意的な部分でも、親がどう行動をするかにより、子供がどんな方向に伸びていくのかを大きく左右します。

「何をするにしても、ウチの子は妙に醒(さ)めている」。

これは、その子が大人びているのではありません。

イマジネーションが不足しているから、目の前のことに楽しめないのです。

親が楽しむ姿を子供に見せていますか。

親が「月がきれいだねえ」と自然の美しさに感じ入る姿を見せていると、子供も自然に対して心を開くようになるものです。

親が金銭的な損得勘定にこだわっていれば、子供も損得に敏感になるように。

子供というのは、結局、親の枠以上にに育つことは決してありません。

生き生きとした知性と感性をもった魅力的な人間に育てたいと思ったら、親自身が姿勢を正し、生き生きと何かに没頭する姿を毎日見せていくことこそが大切なのだと思います。

かという私も、反省の毎日なのですが・・・。

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《知っトク》文章題ができないは、どうしてか?

『ウチの子供が文章題ができないのは、やはり本を読まないからなのでしょうか?』

『本をたくさん読む子供なのに、どうして文章題ができないのでしょうか?』

新規入塾生の保護者の方から、こんな質問をよく受けます。

ここにまず根本的な誤解があります。

本をたくさん読むことや読書が好きなことと、文章題が解けることは、実はあまり関係がありません。

文章題が解けない理由はただひとつ、《精読》ができない、これだけです。

これは、子供に音読をさせてみるとすぐにわかりますが、文章題が苦手な子供というのは、決まってもう見事なくらい読み落としをします。

勝手な読み方と言うか、だいたいこんなことが書いてあるのだろうという思い込みから来る語尾の読み間違いであったり、単語そのものの読み間違いだったり、ひどいのになると漢字を飛ばして読んだりと、間違い方にバリエーションはありますが、必ず読み落としをしています。

だとすれば、どんな良い塾で、すばらしい先生に指導を受けても、成績が伸びないのは、頷けるでしょう。

誰も読み方にまで子供に注意する大人はいないわけですから。

ですから子供としても、読み間違いは単なるケアレスミスのように軽く考えてしまうのは当然のことで、いつまで経っても同じ失敗を繰り返すだけで、文章題を読むということの本物の構えに気づきません。

それならばと、お母さん方は、子供に「ちゃんと読みなさい」と叱咤激励することでしょう。

でも、残念ながら「ちゃんと読みなさい」で、読むようになった子供は一人もいません。

なぜなら、精読力のない子は、だらだら読むことが読むこと(精読)と思っているのです。

テレビを見ながらでも、おかしを食べながらでも、消しゴムを突きながらでも、それをちゃんと読むことだと思い込んでいるのです。

必要なのは、文章題を読むということは、読み落としや読み間違いをせず音読できる力を養うことです。

一字一句読み落とさない、集中した読み方を体得することです。

そうできるようになってこそ、文章の中身が理解できるようになるのです。

私は、塾生を指導するとき、小学生のうちから特に気を配っていることです。

家庭でも、勉強に限らず日々の生活の中で、子供の集中力を養ってあげることは、

すごく大切なことだと思います。

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《知っトク》将来の仕事の在り方について

これから大人になるみんなへ

将来の仕事の在り方について

《仕事 = お金儲け》

という考えを改める時代がやってきたようです。

生きていくために仕事するというライフスタイルはもう時代遅れなようです。

こんなことをいうと、多くの大人はきっと、そんなに実社会は甘くないと言うでしょう。

でも現に他の先進国ではひとつの手法として国が主導で、ベーシックインカムがいう政策が導入し、社会基盤自体を大変革させているところもあります。

(詳しくは、[ベーシックインカム]とググってください)

日本がベーシックインカムを導入することはまだまだないと思われますが、それはあくまで、仕事の在り方が変わる大きな確固たるひとつの例です。

だから、その波は日本にも押し寄せています。

これから大人になるみなさんは、決してこの波に乗り遅れないように絶対に準備しておいてください。

では、『仕事 ≠ お金儲け』ということについて少し見ていきましょう。

お金とは価値のあるものに支払われます。

価値の薄れたものには、対価も低いということです。

仕事についても同じことが言えます。

詭弁に聞こえるかもしませんが、今まで『常識』とされたことのは、常識ゆえにもう希少価値がありません。

だから常識を捨てる時がもうそこまで来ているのです。

そこでは希少価値の無いモノ(物・者・仕事)には、対価は支払われません。

大人はよく、やりたいことをするにも、お金も時間も余裕がないなんてよく言います。

騙されてはいけない。

そんな常識は完全無視。

くどく言いますが、常識は常識ゆえに価値無し、完全無視すべき時が来ているのです。

もし君に、好きなこと・やりたいことをがあるなら、迷わず行動し、のめり込んでしまいましょう。それもとことん。

大人は「それで、飯が食っていけるのか?」と君に問いかけるかもしれない。

「じゃあ、学歴や資格で飯は食えるか」と、逆に問いかえしてやれ。

それを聞いた大人はきっと実感として、その反論(常識)にギクっとするに違いありません。

もう一度いう。

常識ではもう飯は食えなくなる。

学歴や資格、あって損するものではないですが、もはや君の将来を保証するものでもなんでもない。

ましてや、生活安定を求め大企業への就職なんて発想は捨てましょう。

大企業側も、そんな発想の人間をもう必要としていませんが。

だから、なんでもいい。

君がやりたいこと・好きなことに没頭し、我を忘れ、時間を忘れ、そのいま無駄といわれるモノに、とことんハマりまくればいい。

それこそが、希少価値なり、実利を生むはずです。

価値のモノサシとして、お金だけではもう測りきれない時代です。

なぜなら、お金も世の中には有り余り、それ自体の希少価値ももうなくなってきていると言えます。

もとを正せば、ただの紙切れ。

お金の価値がなくなるわけではないですが、絶対的な唯一無二の存在は確実になくなってきています。

ウソのようですが、これがグローバルスタンダードだと思います。

じゃあ、何がお金に匹敵するくらい価値あるのか?

それは、信頼・信用なのかもしれません。

お金のように数値化することは困難ですが、それだけに価値もまだ絶大とも言えます。

君の好きなこと・やりたいことが、世界中に発信できる時代です。

インターネット、そう君の手にあるスマホは世界と繫がっている昨今、今は近くにはいなくとも、君に目を向け興味を抱き、色んな意味で投資しようとする人はきっと世界のどこかにいるはずです。

そのつながりが将来的には信頼・信用となり、仕事=ライフワークへとなっていくはず。

その信用・信頼の対価として、君にお金が支払わるようになりますよ、きっと!

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《知っトク》勉強できる幸せ・・・学生諸君へ

平和で豊かな日本に住む私たちは、自分のいる環境が世界中では奇跡的に恵まれていることに気づかずに、ごく当たり前の平凡なこととして受け入れがちです。

だから、この自分の幸運をつい粗末に扱ってしまいます。

でも、世界では今この瞬間、戦争が起こり、地域紛争に巻き込まれ、飢餓・貧困に苦しんでいる人たちもいます。

もちろん子供も例外ではなく、今日無事でも、明日には死ぬかもしれないという状況にあるのです。

それ方がむしろ、世界で起こっている現実と言えるでしょう。

自分たちではどうすることもできない彼らに、「今、一番望んでいることは何?」と尋ねると、どう返答したと思いますか。

平和が当たり前の日本で暮らす君たちが一度、彼らの答えを想像してみてください。

「早く平和になってほしい」。「死にたくない」。「おなかいっぱい食べ物がほしい」。

こんな答えが返ってくると容易に想像できませんか。

でも、そうではなかったのです。

明日をも知れない環境で、幼い子供たちは、それさえ全く望めぬことだと十分に理解しているのです。

自分の置かれた境遇の危うさ、自分では打開できない状況、自分ではどうしようもない刹那を常に肌で感じているのです。

そんな中、あえてみんな口をそろえて、こう答えたそうです。

「学校にまたいつか行きたい。学校に行って友達といっしょに勉強がしたい」

これが、子供達の一番多かった願いだそうです。

空腹を満たすこと、命の保証よりも、勉強したいと、彼らは望むのだそうです。

私たちとは対極の環境に住む彼らの心境をおもんばかってみてください。

想像をはるかに絶していますが、君の心の芯を締めるものを感じませんか。

私たちにとっては現実離れしたこの話しも今起こっている実話であって、現実離れしているのは私たちの方なんですよ。

決して絶対に遠く離れた自分たちは無関係な世界のことだなどと思わないでください。

そこに行こうと思えば、地球を半周もすれば、一日足らず行くことも可能なのです。

そこでは同世代のたくさんの子供たちが、今日の命をつないで一生懸命生き抜いています。

どうでしょうか、みなさん。これを聞いてみて。

何不自由のない快適すぎる環境のもと『机に向かい勉強できる奇跡的な幸福』を、君たちはムダにしていませんか。

それでも、まだムダにできますか?

勉強することにくじけそうになったとき、どうぞ思い出してください。

そして今君たちができる一番の方法をもって、自分の人生を一生懸命生きてください。

幸運にもそれが君たちには可能なのですから。

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《知っトク》子供は、ほめて伸ばす

『ほめる』とは、どういうことなのでしょうか。

『ほめる』とは、ズバリ、あなたの子供に対する愛のメッセージに他なりません。

「◎◎ちゃん、すごく頑張っているね」と、ただその子の行動をほめるだけでは効果不足です。

「◎◎ちゃんが頑張っていることに私はすごく感動したよ」と、子供に自分の気持ちを伝えるのです。

この心がけだけでも、『ほめる』効果に雲泥の差が出ます。

そして、子供の性格を見て、ほめ方をかえるのも大切です。

難しい問題を解く子供をほめる方法にも、その子の性格に合わせて、3パターンにあります。

①結果第一型・・・プロセスより、とにかく早く解けて、答えが合っていればいいという子。

②コツコツ型・・・・マイペース。解けることよりも、取り組んでいること自体にやりがいを感じる子。

③工夫型・・・・プロセス、解き方にやりがいを見出す子。

だいたいこの3パターンに子供は分かれますから、ほめ方も自ずと変える必要があります。

①の結果第一型の子には、「よくできたね」と声をかける。

②のコツコツ型の子には、「よくがんばってるね」と声をかける。

③の工夫型の子には、「よく気がついたね」と声をかける。

・・という具合にです。

このポイントを押さえ、ほめてやると、子供の心に響き、やる気が湧いてくるわけです。

すると次第に[またこの先生にほめられたい]・[またお母さんにほめられたい]という気になり、

次には[また先生を喜ばせたい]・[またお母さんの喜ぶ笑顔がみたい]となってきます。

これが子供の心を突き動かし、勉強に向かわせる動機付けに一番なりやすいのです。

具体的な夢も持たない将来を目標に勉強するなんて、実際モチベーションなんて生まれませんよね。

このように『ほめる』意義をわかっていただけると、きっと今までと違った『ほめ方』ができるはずです。

さあ、みなさんも明日から、上手に子供をほめちぎりましょうね。

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《知っトク》子供を伸ばす方法『叱るときは、しっかり叱る』

しかるときは、しっかり叱ってください。

これができているようで、案外できていないようです。

コツは、『厳しく』・『短く』・『後を引かず』。

中途半端な叱り方は、よくありません。

子供が可愛いばかりに、子供の言い訳や屁理屈をつい許したり、わがままを見逃したりすると、それが子供の既得権となり、親のいうことを聞かなくなってしまいます。

それを放置しておくと、将来に必要なさまざまなしつけをし損なうことにもなります。

その子は、最後にはお母さんが始末をつけてくれるという依存関係が出来上がり、ともすると、細かい注意を払う、失敗しないように集中する、回りに気を配る、少しくらいの辛さには耐えられる、などの大切な基礎能力が育めないまま成長していくことになります。

そうなれば、学習にも直接響くことになりますし、将来、自分では何も判断・決断できなくなる危険があります。

だから、自信を持って、ビシッときつく叱りましょう。

普段より子供を深く慈しみ、愛情があればこそ、キツく叱れるのです。

こうした『しつけ』教育は、学校では今や望めません。

そう、お母さんだからこそできるのです。

でも、よくあるのですが、お母さんが感情に激し、自分の日頃の不満うっぷんを子供にぶつけないよう注意してください。

このような愛情を感じない叱り方は、子供とっては、お母さんが『怒っている』だけになってしまします。

あなたのお宅では、こうなっていませんか。

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《知っトク》子供の言動

『勉強しなさい!』

子供が親の言うことを聞かない。

そんなとき、ついカッと感情的になって、怒ってしまうものです。

でも、それで子供が親の言うことを聞くのであれば、感情的になったりはしないはずです。

つまり、カッとなるやり場のない感情を、子供にぶつけているだけで、なんの効果もないはずです。

日頃からよく怒られる子供ほど、親の言うことなど、まさに「馬の耳に念仏」ではないでしょうか。

そもそも、子供の言動など、コントロールできないものです。

自分じゃないんですから、当然と言えば当然ですよね。

なら、どうすればいいのか。答はカンタンです。

あなた自身の子供に対する対応をコントールするしかありません。

親として、自分自身の対応なら、100%コントロールできるはずです。

いくら言っても、いくら怒っても勉強しないという子供には、ほとほと腹が立つものです。

でも次は、そこをグッと我慢してください。

目的は、いかにして子供に勉強してもらうかです。

それに対する親の行動には実にさまざまな選択肢があります。

怒る以外にも、しかる・さとす・サポートする・ほめるetc。

我が子が心の底から「あぁ、次からはこうしよう」と思うために、どの選択肢を選べばよいかは、親のあなたが一番わかっているはずです。

冷静に「我が子にとってベストな親の言動」をあなた自身が選んでみてはいかがですか。

いつもと少し違う親の言動に、少なからず子どももいつも違う反応を見せてくれるはずですよ。

お試してあれ。

ちなみに、私は塾で指導する際、ひとり一人の塾生により、その方法は変えています。

同じ科目・同じ単元であっても、、その日のその子の様子によって、変化をもたせています。

「どうしたら、今日のこの子は、やる気を持って、この問題に取り組めるか」

ここに塾の違いがあると、思います。

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《知っトク》『考える人』になろう!

「思考停止」という言葉があります。

人は何かにつまづいて、その解決の方法がどうしても見つからない時や見つけることに疲れ果てた時は、考えることそのものを止めてしまいます。

君にも「もうどうでもいいや、考えたくもない」と思える時があるはずです。

でも、人間は考える生き物です。

考えるから人間なのです。

考え続けていくことが人間の生きる希望なのです。

考えることを止めることは希望を失うことです。

君はどんな苦しい状態にあっても、考える人でなければなりません。

考えることは本来人間にとって、とても楽しいことです。

考えることの楽しさは、考えることの習慣から生まれてきます。

「成功」の反対の言葉を知っていますか。

「失敗」と応えた君は間違いです。

「失敗」は部分的成功です。

「失敗」は必ず「成功」に続いています。

「失敗」の数だけ、「成功」に近づけるです。

では「成功」の反対は何か?

それは「何もしないこと」です。

「何もしない」と、「失敗」もしません。

でも「何もしない」と、絶対に「成功」もありえません。

「何もしない」ということは、「考える」ことを止めてしまうということに他なりません。

考えることは、神様が私たち人間に与えるくれた特権なのです。

さあ、ともに考え、ともに頑張りましょう。

希望は明日のために!

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《知っトク》今なぜ大学に行くのか?

ひと昔にもましてさらに、大学に進学することを志望する傾向に今ある。

その目的として、学問をしたい、勉強をしたいと応える学生はどれくらいるだろうか?

本音は、やはり大学卒業の肩書であって、それを持って就職を優位に進め、その先の収入を少しでも高めようと目論んでいるのはなかろうか。

なら、大学では就職までの猶予期間であって、むしろ単位取得させできれば、あとは勉強以外のことに熱中すればいい仕組み・構図が自然と成り立ってくる。

大学側もそれを暗黙の了解とし、本来ならば将来学生たちが必要となろう実践的なビジネススキルをもっと教授した方が有益なのだが、実際には昔ながらの学問を授ける場であるというスタンスを頑なに崩そうとしない。

コロナの影響下、今、大学はオンライン学習を専らとしている。

システム導入には労を要しただろうが、コンテンツの内容としては今までと同じ学問の提供であって、なんら変わりはなく、その提供方法が変わっただけのことだ。

学生側にとっても単位さえもらえればということであれば、歓迎すべきはずなのだが、皮肉にも心情的にもそうはなかなかならない。

大学は、タダじゃない。学費もいれば、それに伴う生活費だっている。

私学、それに理工学部系であれば、さらに経済的な負担はかさむ。

それでも今まで大学に通っていたのは、卒業の肩書だけが欲しかったわけではなく、大学生にいる間での経験、大学生同士の新しい横のつながりから、バイト含め実社会体験、何か新しいものへの挑戦などと、そういった環境や時間が猶予提供されたからに違いない。

でも今はどうか?。

新入生なんて、入学式どころか、新歓オリエンテーリングもなく、部活.バイトもままならない。

で、オンライン学習で巣ごもり。

習う内容なんて、今のネット社会、ググれば情報としてすぐに無料で手に入ってくる。

これではやりきれなくとも仕方なかろう!

じゃあ、学生はどうすればいいのか?。

大学に行く意味なんて、ないのだろうか?

否、決してそうではない。

悲しいかな、日本の就職を取り巻く社会の仕組みは、急に大きく変わるわけでもない。

大学側でも、指導内容の主が学問の域を大きく超え、将来に役立つビジネススキルを教える場となる変革がそうそうには起こりそうもない。

だからこそあえて、行く方がやはり無難だろう。

でも、重要なことは、環境がかわりつつある今、これまでと同じ思考であってはならない。

学生は、少なからずも興味のある学部.分野の大学に進学したわけなのだから、そこで習った学問を情報として蓄えつつも、それだけでは他人と同じ情報であって価値がないゆえ、それを自分のモノと昇華するためにプラスα、今ある大学生である環境と時間を自分の好きなことにつなげ、どんどん没頭にするようにしよう。

じゃ、将来役立つビジネススキルやらは、どこで学べばよいのか?。

実は技術革新が甚だしい流動的な現社会では、そんなものが体系的に学べるもの・所はどこにもないのではないだろうか。

資格取得、MBAでさえ、これからの実社会でモノ言うかはクエスチョンだ。

だから、そんなに堅苦しく構えるのはなく、《役立つビジネススキル=自分の好きなこと》だと捉えればいいと思う。

じゃあ、どこでそれを見つければいいのか?。

ネットがあるじゃないか。

気になる事があれば、スマホで一発検索、いくらでも情報が手に入る、しかも無料で。

今まででは考えらなかった産業革命だといっていい。

そして今、最も価値あることは、溢れかえる情報ではもうなく、君の実行であって、とにかく実践することだ。

大学で習うことに、自分の好きをくっつけて、オリジナル、唯一無二の自分を作って欲しい。

それはどんな分野でもいい。

ニッチであって、趣味の次元を超えなくてもいい。

今はそれが生計に直結するようなことしなくても、SNSやネットの進歩を見れば、必ずそんな世の中がやってくるはずだ。

肩書や名前のない仕事の形が、そんなに遠くない将来に多々出てくるに違いない。

その今はない新たな職業にあえて肩書や名前をつけるとするならば、それを君の名をもって、みんな呼ぶだろう。

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